梶井基次郎「路上」から(一)  山白有二

 ――第一章 「瞬間」とエクリチュール(上)

はじめに 梶井基次郎の処女作「檸檬」が、同人誌『青空』創刊号に発表されたのは一九二五(大正一四)年一月のことである。梶井は満二三歳、東京帝国大学文学部英文科一年生であった。また、遺作となった「のんきな患者」が『中央公論』に掲載されたのは一九三二(昭和七)年一月のこと、これにより職業作家として初めてまとまった原稿料を手にすることができたが、そのすぐあと三月二四日、年来の肺結核のため梶井は永眠した。満三一歳であった。作家としての生活は僅か七年余であった。  

生涯に発表された小説作品は全て短篇で、総計やっと二〇を数えるに過ぎない。が、それらの作品群を読み解くことは、一見そう思われるほど簡単なことではない。作品数の多寡という量的な問題では全くなく、彼の作品は緊密な「質」を有する多面的な「結晶」のようであり、その各々の面と他の面とが相互に照らし合う、いわば照応線が実に複雑に交錯し迷走しているからである。照応線の迷走は一作品内部に留まらず、さらに彼の全ての作品、習作、遺稿、日記、ノート、書簡にまで及んでいる。  

小論では、作品「路上」を通る、その迷走線のごく一部を辿り、線の出会う交差点に立ち、眺め、そこに示されて来る方位と景色とをぼんやりと浮き上がらせる程度のことしかできない。しかし、それだけのことでも、それなりの重さのあることではあろう。ちょうど処女作で話者の「私」が一個の小さなレモンについて呟くように。「――つまりはこの重さなんだな。――」。

一、探索と発見 作品「路上」は、「檸檬」「城のある町にて」「泥濘」に続く、梶井の第四作目である。一九二五(大正一四)年一〇月七日脱稿、一〇月一五日発行の『青空』第八号に掲載された。「檸檬」を書いてからほぼ一年後の執筆で、満二四歳、東京帝大英文科二年である。  

さて、「路上」の冒頭、それだけで第一段落をなす独立した一文は、ある発見を語っている。  

自分がその道を見つけたのは卯の花の咲く時分であった。  

「その道」を発見したという事実に対して、その時「卯の花」が咲いていた、というのはさほど重要でない付随的なことのように見える。あるいは、俳句の季語のように、「時分」を表す表徴によって、「その道」の発見の時の情況・環境を仄かに開き、暗示していると言って良いかも知れない。いずれにしろ、この一文で主たる話題は発見された「その道」であり「卯の花」は従の、せいぜい装飾的な機能を果たしているだけである。  

実際、続く第二段落で話者である「自分」は直ちに「その道」についての詳しい説明を始めるし、読む者の興味もこの「その道」がどのようであるか、へと尖鋭化しているはずだろう。「その道」についての説明は、東京の大学生である「自分」の下宿近辺の、通学に関わる二つの電車の路線、二つの終点駅、その路線が交わる乗換駅などの関係が絡み合って少々複雑で、作者はその説明に第二、第三の二つの段落を費やしている。が、これについての検討は後回しにしよう。いま注目しておきたいのは、続く第四段落目の末尾と、第五段落全部である。  

〔電車の:引用者注〕窓から外を眺め勝ちな自分は、ある日その沿道に二本のうつぎを見つけた。  自分は中学の時使った粗末な検索表と首っ引で、その時分 家の近くの原っぱや雑木林へ卯の花を捜しに行っていた。白い花の傍へ行っては検索表と照らし合わせてみる。箱根うつぎ、梅花うつぎ――似たようなものはあってもなかなか本物には打つからなかった。それがある日とうとう見つかった。一度見つかったとなるとあとからあとからと眼についた。そして花としての印象はむしろ平凡であった。――しかしその沿道で見た二本のうつぎには、やはり風情といったものが感ぜられた。  

「うつぎ」の樹の、白い花が「卯の花」である。しかし紛れやすい幾つかの近似種がある。「卯の花」を正しく同定するためには、その様々な特徴を整理し、近似種との差異を確認できる「検索表」を用いて探索する必要があるだろう。なかなか見つからなかったのが、電車の沿道というさほど自然の豊かそうでもない場所で「とうとう見つかった」。しかし、それがまるで偶然のようにヒョッコリと見つかったのも、彼が常日頃から、そして無意識にも、このような探索する眼で風物を眺めていたからだろう。探索するとは、何かへあらましの見当をつけてそれへと向かうことであり、この向かうことがなければ、そもそも何かが「打つか」って来る、ということはありえないだろう。

初めてのうつぎの「発見」であったが、その後、いわば本物に目が慣れるに従って「卯の花」は次々と、易々と見つかり、それにつれて発見時の新鮮さは薄れて行き、花の「印象はむしろ平凡」と判明して行く。「しかし」そんな平凡化の中でも、生まれて初めて沿道で発見した特権的な「二本のうつぎにはやはり風情といったものが感ぜられた」。この「風情」には、それを初めて見つけた電車の沿道という特別な場所が、拭いがたく染みついている。逆に電車の沿道は、この発見された二本のうつぎがあるために「風情」が漂う場所になってもいる。  

ここで、あの冒頭の短い一文を振り返ってみよう。ここまで「自分」の語りに付き従ってきた読者には、この一文が既に多くのことを含み込んでいるように見え始めるだろう。一文において「卯の花」の語は、初めて「発見」することの事件性の強度と、また初めて「発見」されたものが漂わす「風情」をまとい始めている。少なくともこの話者としての「自分」――限りなく梶井基次郎に似てはいるが別人である――にとっては最初からそうだったのであり、またここまで「自分」の語りに付き従い、段落を追ってきた者にとっては、今やそうである。  

冒頭の一文は「その道」の発見と、「卯の花」の発見という、二つの発見を一つに重ね合わせ、そのことによって「その道」と「卯の花」とが互いに通じ合い、出会い、おひな様のように仲良く並ぶことができるような、もう一つの別の「道」を切り拓いている。この別の「道」こそが梶井の作品を迷走する照応線である。  

しかし、「発見」はそれだけでは終わらない。先ほど末尾だけを引いた第四段落の全ては次のようである。  

窓からは線路に沿った家々の内部(なか)が見えた。破屋(あばらや)というのではないが、とりわけて見ようというような立派な家では勿論なかった。しかし人の家の内部というものにはなにか心惹かれる風情といったようなものが 感じられる。窓から外を眺め勝ちな自分は、ある日その沿道に二本のうつぎを見つけた。(強調引用者)  

例え小説の中でとは言え、「人の家の内部」つまり他人のプライバシーを覗き見ることに「心惹かれる」という記述に、少しの気味悪さや嫌悪を感じない読者がいるものだろうか? そのことに梶井が気付かないでいる、のではもちろんない。それどころか「人の家の内部」を見てしまうことの道徳的な疚しさは「自分」を動揺させてさえいる。傍点部分を強調的に分節すれば「なにか-心惹かれる-風情-といった-ような-もの」といっった、何重にもぼやかされ、明確な断定を避け、あやふやに言い訳しようとするかのような表現法がそのことを物語っていよう。しかし一方、読者の側から見るならば、このような危惧を孕む表現に出会うと、不穏な興味を覚えてしまい、つい「心惹かれ」、耳を欹ててしまう、というのもまた紛れもない真実ではあろう。  

この「路上」より三年後、一九二八(昭和三)年、『青空』の解散後、梶井が新しく参加した同人誌『文芸都市』七月号に「ある崖上の感情」が掲載された。そこでは「人の家の内部」を見るという「路上」のモティーフが、より中心的な主題に据えられ、しかも電車の沿道で否応なく眼に入ってしまうという受け身ではなく、積極的にこちらから「覗く」という能動的な仕方で展開されている。  

ある青年が坂を上り詰めた崖の上から眼下の夜の町並を眺めている。夏のこと、開かれた家々の窓からその内側の様々な生活模様が見えて来る。  

そこからはなるほど崖下の町が一と目に見渡せた。いくつもの窓が見えた。そしてそれは彼の知っている町の、思いがけない瞰下景(かんかけい)であった。彼はかすかな旅情らしいものが、濃くあたりに漂っているあれちのぎくの匂に混って、自分の心を染めているのを感じた。(強調引用者)  

「ある崖上の感情」は、倦怠、覗き見、変態性欲、二重人格といった、いわば「モダン」なモティーフが複雑に絡み合っており、梶井の作品としては異色で興味深いが、ここではただ、電車の沿道で「人の家の内部」を垣間見てしまったときの「なにか-心惹かれる-風情-といった-ような-もの」が、簡潔に「旅情」と呼ばれていることだけに注目しておこう。

二、交差と落差 さて、後回しにしてきた「その道」へといよいよ接近して行こう。  

「その道」とは、電車の二つの路線の二つの終点駅M、Eと、「自分」の下宿とをつなぐ道である。二つの路線が交わるT駅は乗換駅である。EとTの間は単線の往復路線で、Mから「自分の」通う大学のある都心方面へと伸びて行く本線に比して、閑散とした支線であるようだ。「二本のうつぎ」を発見し「人の家の内部」が見えたのは、こののどかなE―T間の支線の沿道でのことである。Tを交差駅とするM、E、都心方面という三方向を結ぶY字型の路線図を概念すればよいだろう。  

梶井の伝記的事実を参照するならば、一九二四(大正一三)年一二月から翌年五月まで下宿した東京府荏原郡目黒町近辺の停留所、目黒(M)、恵比須長者丸(E)、天現寺橋(T)を比定できるだろうが、現実の路線は正確にはY字型とはならずもっと複雑である。しかしここでは、作者にとっても読者にとっても、電車の路線網の正確な再現が問題なのではない。  「自分」は普段はM停留所を使っていたが、  

ある日の帰途気まぐれに自分はEで電車を降り、あらましの見当と思う方角へ歩いて見た。しばらく歩いているうちに、なんだか知っているような道へ出て来たわいと思った。気がついて見ると、それはいつも自分がMの停留所へ歩いてゆく道へつながって行くところであった。小心翼々と云ったようなその瞬間までの自分の歩き振りが非道(ひど)く滑稽に思えた。

これが「その道」の発見の「瞬間」である。その後、「自分」の下宿からはMもEもほぼ等距離にあること、また友人の許へ行くのにはEからの方が比較にならないほど近いことなどが次第に判明してきて「自分」を喜ばせる。未知のものであった「その道」はこうして既知のものに変わり、その利便性によって習慣化するようになる。「そして自分は三度に二度と云う風にその道を通るようになった」。  

習慣化することによって、「その道」の発見の「瞬間」の新鮮さは、次第に日常化し平凡化して行くだろう。ちょうど初めて発見された「卯の花」がその後次々と見つかるにつれて「花としての印象はむしろ平凡であった」と思われて来たように。そしてあらゆる習慣は、このような発見を土台としながらも、同時にこの発見の「瞬間」の新鮮な驚きを摩滅させ、滑らかにし、忘却することによって成り立っている、と言うことができる。この滑らかさは、人の行動をほとんど自動的なものにし、型にはまった画一的なものにする。それはそれで重要である。が、また一方ではそれは退屈と疲労の毎日でもあるだろう。  

しかし、その発見の「瞬間」は完全に摩滅・消滅してしまうだろうか? 既に知っていた道と、未だ何処へつながるか知らない道とが、出会い、交差し、つながったその「瞬間」を「自分」は書き記していた。  

小心翼々と云ったようなその瞬間までの自分の歩き振りが非道く滑稽に思えた。(強調引用者)  

「その道」の発見の「瞬間」を、「自分」は事後的に想起=反省し、そして書き留めている。そのような想起とエクリチュール(書かれたもの)として、発見の「瞬間」は蘇って来ている。蘇る以上は、「瞬間」は摩滅・消滅などしていなかった、ということになるだろう。  

ここで読者は極めて注意深く、自分自身でその「瞬間」を凝視し、次のことをはっきりと見て取らねばならない。その「瞬間」に、交差点上の「自分」は、既にその直前の自分の状態を想起していた、ということを。  

その直前の状態とは「小心翼々」とした「歩き振り」であり、そしてその直後には状態は「非道く滑稽」へと変貌している。その「瞬間」はこの変貌、変換、を分ける境界の瞬間(クリティカル・モメント)だったのであり、この「瞬間」を挟んで、直前の過去と直後の現在、「小心翼々」と「滑稽」とがくっきりと対立し、しかもこの対立するものは一つに重ねられている。  

重ねられるとは、区別もなく渾然一体と融解してしまうことではなく、互いの間に距離が挟み込まれ、鋭く差異づけられながら向かい合う、ということである。過去が過去として横たわるゆえに現在が現在として鋭く聳え、「小心翼々」が想起されるゆえに「滑稽」が噴出する。溶けてしまうことのない二つの異なるもの間に距離が含み込まれ、それでもやはり一体的に重なっていることによって、この「瞬間」としての交差点には、いわば落差というようなものが生じている。その落差によって、交差点には、厚みや、ふくらみ、起伏、傾斜のような、立体的・地形的なものが幻影的に浮き上がる。  

想起するとは回想することであり、直前の状態を既に過ぎ去ったエピソードとすることである。しかし、それはある程度の時間を経てから意志的にする想起――ちょうど「自分」が「卯の花」の咲く時分から遠く距たって「その道」の発見の「瞬間」を懐古的に書き留めているように――ではなく、二つの道の交差の「瞬間」がそのまま、いわば「生で」、想起することであり、それはあたかも直前の過去の状態がそのまま綱を付けられ現在へと引き摺られて来たかのようである。  

このような、ほとんど直接的・即時的な想起の場合、刻々と過ぎ去って行く過去を追い求める、と言うよりも、過去の方がこちらへと到来して来る、襲って来る、と言う方が適切だろう。すると、直接的な想起においては、想起する現在と想起される過去とが、ともに向こうから到来する=将来するという、過去―現在―将来の時間の三契機が統一的に発現している、ということになる。  

交差点の「自分」は、過去がエピソードとして到来してくる現在という「瞬間」に立っている。その幻影的なエピソードがそのまま記憶である。それはいかにも微少なエピソードに過ぎない。しかしこの瞬間的なエピソードとしての記憶が生成しなかったならば、その瞬間から長い時を距てて後、その瞬間をあらためて想起し、回想し、反省し、そして書き記す、ということは不可能となるだろう。交差点上で、ほとんど自動的に生成した微少なエピソードは、原本的な記憶でありエクリチュールである。原本的とは、それによって過去を追跡したり書き記すことが可能とされる、その可能性という意味である。(次回に続く)

 

※作品の引用は『梶井基次郎全集全一巻』(ちくま文庫、一九八六年)に拠った。作家の伝記的事実などは『年表作家読本・梶井基次郎』(鈴木貞美編、河出書房新社、一九九五年)、その他に拠った。

【追記】本稿は『鳥取文芸』第40号(2018年12月)に掲載の「「瞬間」とエクリチュール―梶井基次郎「路上」から」を転載したものである。その際、タイトルとサブタイトルを入れ替えた。(2020年4月1日、記)